本編は学園物じゃありません。確認。

 春の現在地はB棟の三階。目的地である教室もB棟の三階。このままのペースで走れば、あと二十秒もあれば教室に辿り着くことが出来るだろう。春の表情は、始めこそ焦っていたものの今では余裕に満ちていた。だが、念には念を。最後の曲がり角を抜けると、教室まで後は一直線だった。
 春が身構える。すると、マナと人間の体内に存在するマナとは別の力……曰く、気(ストラ)という誰でも持っている力を足に集中し始めた。
「ここなら、『瞬歩』を使えば一秒も掛から―――だわぁっ!」
 一瞬、春の姿が消え…そこで、何者かに足を引っかけられたのだろうか。“何故か二百メートルも先で、壮大に転けた春が踞(うずくま)っていた。”
「痛ってぇぇぇ! な、何だ、一体何が……あ゛」
 頭を抱えながら自分の転けた理由を捜そうと辺りを見回すと、目の前―といか、ほんの先ほどまで春が居た場所―に白衣を着た一人の女性が腕組みをしながら怒ったような表情で立っていた。
 一言で表わすのなら『大和撫子』。光と窓から入ってくる風を浴びて綺麗に流れる、春と同じく腰まで届く茶色の髪。くっきりとした、慈悲に溢れた優しい黒色の瞳。そして、春なんて足下にも及ばない程、美しく、陶器のように白い肌。誰が着ても似合いそうにない医者が着るような白衣も彼女が着ると一流のファッションに思えてくるから不思議だ。
「す、鈴姉……」
 春に鈴姉と呼ばれたその女性は、叱るような―彼女がするとそれすらも可愛く見えるのだが―顔で春にゆっくりと近付いてきた。
「駄目だよ、春くん。廊下で『瞬歩』なんて使ったら」
 鈴は「メッ」と軽く春を小突く。これがまた可愛らしい動作で、普通の男子生徒なら鼻の下を伸ばしているだろう。だが、羨ましいかな、実は春と鈴は普通以上の関係を持っていたのだ。
「っ〜! ご、ゴメン…って、家族なんだからこれくらい許してくれても良いんじゃない?」
 そう、春と鈴は家族なのだ。とは言っても、血の繋がっている本当の家族ではなく親戚なのだが、鈴の家族…皐月家は春が幼い頃に両親を亡くして以来ずっと面倒を見てくれたのだ。だから春は鈴の事を誰よりも尊敬しているし、慕っている。
「それでも駄目なものは駄目。春くんも知ってるでしょう? 学校の廊下は走っちゃ駄目なんだよ」
 慕ってはいる、慕ってはいるが、皐月鈴は公私の区別をハッキリと付ける人間だった。
 鈴は春と共に教室に向っている。
「まったく、折角春くんのクラスを持つ事になったのに、いきなり春くんの指導をするだなんてね。先が思いやられるなぁ」
 その言葉を聞いた春は思わず掬い上がった。
「そ、それ本当!? マジ!? 鈴姉が俺のクラスの担任なの!?」
 もしそれが本当ならヤンキーが鬼ではないということになる。そればかりか鈴と共に教室に入れば、遅刻になる事もない。正に一石二鳥だ。